今ブログ開始、そしてJ鶴田のAWA王座奪取はいかにして永遠のものとなりしか。

 

まずは前ブログアドレス。いつまで見れることやら。

d.hatena.ne.jp

 

さて、本日はジャンボ鶴田AWA世界王座奪取35周年。全日本関係の84年最大の ビッグイベントであったため記憶されている人も多いとは思いますが、その背景としてどれだけ馬場さんがお膳立てしてたかもまた記憶されるべきかと。そしてその相手のニック・ボックウィンクルの凄さをも。以下、前ブログと同じくツイッターより駄文転載。

https://twitter.com/foolkitchen1 

 

>まず(1)この王者ニック・ボックウィンクルジャンボ鶴田AWA世界タイトルマッチ、単発で組まれたものではないのですね。2月23日東京蔵前と26日大阪府立の2連戦。そしてテレビ中継は23日蔵前で組まれている……この段階でスレたファンは「23日で鶴田が取る!」と確信したはず。(続

 

>当たり前の話ですが、テレビ中継でタイトル奪取のシーンを流さなくてどうすると(苦笑)。中継ある東京で取り逃がして、大阪で取ったって鶴田時代到来の印象はあまりにも薄らいでしまう。たとえ大阪で返すことになったって(当時のコアなファンはそれを危惧していたはず)東京では取るだろうと。(続

 

>そして注目すべきなのが、(2)中継は23日当日ではなく、2日後の25日放送であった、ということ。勘違いしておられる方も多いかもですが、「23日は木曜日」だったのですよ。これも鶴田の王座奪取を確信させるものであった。2戦目大阪は中継翌日だったので、そこで取ったって意味ない(続

 

>そして東京で取り逃したとしたら、そんなものを2日後に録画中継して視聴率取れるのか? そりゃもう「鶴田王座奪取!」をすでに承知していたコアファンも情報を知らない一般ファンも、両方を引き付けるには東京での王座奪取は鶴田にとって至上命題であった。そして何より大きなポイントが(続

 

>(3)「この試合、反則やリングアウトでもタイトル移動するルールであった」これは大きいですよ!! この時点で馬場さんは「今回は鶴田がベルト獲りますよ! 見なきゃ損ですよ!!」と触れ回ったようなものであった(笑)。ここで取り逃がしたら、今までは「反則負けやリングアウトでは(続

 

>王座が獲れない。だからこそ鶴田は惜しかった」といえたのが、ここまでお膳立てされて獲れなかったのでは、その論法が使えなくなってしまう。これは獲るわと超確信しているファンに、なお馬場さんは追い打ちをかける。あまりにも安心されるとマズイ、と踏んだのかとどめの情報を流すわけで(続

>あります。それは……(4)「もし東京で獲れず、しかもふがいない試合だったら、大阪の挑戦権は天龍に与える」と何と馬場さんが東スポその他で宣言!! これもまた大きかったですよ。鶴田としては試合内容も問われるわけで……当時「善戦マン」に甘んじ、タイトルマッチのたびに「ホントに(続

 

>獲れるの?」と疑いの目で見られ、しかもそれにそれほど反発してる風もなかった鶴田の尻を叩くべく、馬場さんはこれほどの配慮をしていたわけであります。そしてこの馬場さんの配慮は、当然のことながらニックへの完全包囲網でもある……「二連戦で、しかも反則&リングアウトでも王座移動」(続


>これを突き付けられたニックは、己に求められているのが何であるか百も承知であったわけで……バーン・ガニアとの二人三脚でAWAのタイトルを10年近く維持していたニック、1年以上タイトルを手放したのは対ガニアの時のみ、オットー・ワンツに譲ったときはあるけどこれは言ってみれば(続

>休暇のようなもの(笑)1カ月半でニックが取り返している……しかし今回は事情が違う。東京で転落して大阪で取り返せなければ(実際そうなった)鶴田の海外サーキットを許すこととなり、そして次の王座奪取は若手ホープのリック・マーテルに任せられるであろうと……ニックがこの試合を(続

 

>続)自分の最後の王座防衛戦になるであろうと思い決めたことは容易に想像つくわけであります(実際は2年4か月後に再び王座に就くことになりますが、これはホーガンを押し立てたWWF(現WWE)の攻勢に追い詰められたガニアが引っ張り出したもので、1年も経たずにカート・ヘニングに譲位……)(続

 

>少なくとも84年2月23日朝の時点で、ニック・ボックウィンクルはその夜の試合が自分の王者としての最後の試合になるだろうと心に決めていたであろうと。「……ならば、最後に己の実力を思い切りツルタに、そして観客に見せつけてくれようよ」と…ホテルの窓からその舞台であるコクギカン(続

 

>を眺めながらニックはニヤリと笑った……ここはそう描写したいところですね(笑)。実際、ニックのデビュー戦は51年あのルー・テーズとのエキシビションマッチ、70年のNWAタッグリーグではジョニー・クインと組んで猪木・星野と覇を競い、全日本参戦時に「またイノキ&ホシノと戦いたい」(続

 

>と発言して全日本関係者を困らせた、というほどの正統派であるわけで……そのニックの実力が存分に発揮されたのが、まさに84年2月の鶴田とのタイトルマッチであったわけです。https://www.youtube.com/watch?v=KWSbuOuUEKw
 見ていたファンは49歳ニックの実力に驚愕し、「ホントに今日鶴田が獲るのか?」と(続

 

>手に汗握って見ていたと思いますね。それほどのニックの追い詰めようであった。試合後、ひとしきりカウントに文句をつけるポーズを見せてから引きあげていくニックは心に思ったはず。「お前も後進と戦うときは、たっぷりとその壁になってやるんだぞ、ツルタ……」…後に四天王と戦った時、(続

>鶴田の胸には「あの夜のニック」が思い浮かんでいたのではないか。いや、それを置いておくにしても、敗れ去る王者があれほどに強く見えたことはまさに「あの夜のニック」が唯一無二であった。……もちろん最後の瞬間バックドロップホールドを見事に決めて見せた鶴田の集中力もまた称賛される(続


>べきではありますが。馬場さんのお膳立て、ニックの王者としての意地、そして鶴田の集中力(プラスそれまでのフラストレーションw)が重ね合わさって、84年2月23日(そして2日後のテレビ中継)は永遠のものとなった。その結果の背景をここに書き綴っておくものであります。(この稿、了)

 

おまけ。

https://twitter.com/foolkitchen1/status/1099098273615212544

 

35年前のあの頃に、僕たちは何か忘れ物をしてきたような……。

 

ではではまた。次回があれば。